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【開催報告】6/25(日)まちなかゼミ第3回レポート

◆「まちなかゼミ」第3回スタート!

2017年6月25日(日)、第3回目となる「まちなかゼミ」を開催しました。

今回のテーマは「まちつむぎ」。同志社大学の井口貢先生を講師にお招きして、レクチャーとディスカッションを実施しました。

今回の参加者は12名。近江八幡市内在住の方が中心でしたが、奈良や大阪からもご参加いただきました。

■近江八幡まちなかゼミ 第3回
【日 時】2017年6月25日(日) 13:30~15:30 (開場13:00)
【会 場】「旧吉田邸」滋賀県近江八幡市多賀町758
【参加費】無料(高校生・大学生、若者大歓迎です!)
【テーマ】近江八幡のまちつむぎと観光を考える ~人文知と人づくりの大切さ~
【講 師】井口 貢 氏(同志社大学 政策学部 教授)
【内 容】(1) アイスブレイク (2) レクチャー (3) ディスカッション

 

◆井口先生について

同志社大学 政策学部
井口 貢 (いぐち・みつぐ)教授

(以下、同志社大学政策学部HPより引用)
 1956年滋賀県生まれ(現:米原市)の水瓶座、A型。高校から大学院までずっと自宅通学を余儀なくされ、つまらぬ青春だと思っていましたが、 大学教員という職を得て初めて実家を出て暮らしたまちが愛知県の岡崎でした。このまちは、今でも大好きなまちです。 その後岐阜に移り、そして京都では本学がふたつ目の大学です。(計、4つの大学を経験したことになります)猫の額ほどのエリアを移動しただけに過ぎませんが、 それでもちっぽけな国・日本の「広さ」を体感したことも事実で、何らかの形で研究生活にも活かされているような気がしてなりません。そして改めて実感したのは、 歴史(特に、生活文化史)に裏打ちされた地域の個性は、とても重要だということです。

 

◆井口先生と近江八幡の出会い

 米原出身である井口先生が近江八幡に触れたのは、彦根の高校に進学されてから。同級生に近江八幡出身の方がいて、都会のイメージを持たれたとのことでした。

 その後、教員として愛知県の岡崎市にいらっしゃったときに、前近江八幡市長の川端五兵衛氏から、近江八幡のJC(青年会議所)での講演を依頼されたことをきっかけに近江八幡を訪問。

 その講演の前後で、八幡堀の活動や川端氏の著書に触れ、近江八幡を研究するようになったそうです。

 

◆井口先生が語る、近江八幡の特徴

 井口先生は「トポスとしての近江八幡アールブリュットとまちつむぎ、あるいは. 福祉としての観光」という論考を執筆されています。

(「トポス」というのは「場所」を意味するギリシア語で、派生語として「トポロジー」という「場所性(その土地の独自性)」を意味する言葉がある。例えば、幹線道路沿いにチェーン店が立ち並ぶようなまちは、トポロジーが高いとはいえない。)

 論考の中で、「近江八幡はトポロジーに富んだ(場所が持つ意味性が高い)まちである」ということを述べられていて、近江八幡が滋賀でのボーダレスアートの場に選ばれているのは、色濃いトポロジーによる可能性が高いそうです。

 近江八幡は歴史的に名を残す人物を多数輩出していますが、その方々を支えてきたのもまた、近江八幡の人々がつむいできた文化だということを強調されていました。

 

◆「まちつむぎ」とは?

 10年以上前に、井口先生とゼミ生の方々が議論をする中で、「まちづくり」という一般的な言葉を、より実践的に捉えなおした言葉。「まち」というものは新しく「作る」のでなく、「つむがれて」きたものなのでは、という解釈。それぞれの時代で、後世に向けてよりよい暮らしを作ろうとして、自然につむがれてきたのが「まち」であり、その意味では「まちづくり」よりも「まちつむぎ」の言葉の方がフィットすると仰っていました。

 ちなみに、「まちづくり(町づくり)」という言葉の発祥については諸説ありますが、1960年代前半に行政の言葉として使われ始めた(名古屋市東栄地区の都市計画)という説が有力だそうです。当時の東栄地区では野宿労働者が増えていく動きがあり、車道商店街の会長が、行政との議論のなかで「町づくり」という言葉を使い始めたのだとか。

 「まちづくり」の仮名づかいについても、「町づくり」→「街づくり(街路を整備するイメージ)」→「まちづくり(ソフトも含め広義の意味で)」で変遷してきていて、最も幅広い意味合いの「まちづくり」に落ち着いたそうです。

 ※「まちづくり」は防災をはじめ、機能的に都市を作り直すときにはしっくりくる言葉なので、どちらが良い悪いではない、とのことでした。

 

◆高度経済成長が「まち」を考える契機に

 1961年から1973年にかけておこった高度経済成長の期間で、「まち」のあり方に関して大きな出来事が起こっているそうです。

 近江八幡市のシンボルでもある「八幡堀」の保存修景運動が始まったのは1972年。他の地域では、「北海道庁旧本庁舎」が保存されることになり(1968年)、長野県にある妻籠の町並み保存運動、福岡県の柳川の堀の保存運動なども同時期に始まっています。

 地域こそ異なりますが、高度経済成長による矛盾に人々が気づき始め、近代建築の見直し、江戸時代の建造物の再評価が始まった時期だとされています。

 ちなみに、文化財保護法が成立するのは1975年。その後1991年に、近江八幡は伝統的建造物群保存地区に選ばれています。(最近では彦根の七曲、名古屋市の有松地区が認定)

 

◆脱観光的観光のすすめ

 井口先生が提案されている観光のあり方として、「脱観光的観光」というものがあります。昨今は観光客の獲得を目指して、名所づくりや派手なPRが行われる傾向がありますが、つむがれてきた歴史やまちを無視するケースでは、住民からの不満がたまり、良い結果につながらないそうです。

 「観光振興は観光客のためならず」という考え方を持ち、打算的なキャッチコピーをあてがうのではなく、歴史のなかでつむがれてきた文化を大事にしていきたいということでした。

 近江八幡の場合は、八幡堀は観光スポットのひとつになっていますが、それは観光施策によって進められたものでありません。観光施策の以前からJCが中心となり、町をつむごうとした歴史によって成り立っているものです。つまり、観光はあくまで「結果論」なのであって、打算的に経済目的で進めるものではないと仰っていました。

 

◆死にがいのあるまちづくり

 最後に、まちつむぎの一つの方向として「死にがいのあるまちづくり」についてのお話がありました。「生きがい」という言葉が良く使われますが、それはその時に生きる人のためのものでしかないそうです。「死にがい」という言葉には、次の世代も見越して今を生きることの大切さがこめられている。それは観光に置き換えると、観光客におもねるのでなく、地道に地域のための行動をやっていくことが大事だ、というメッセージをいただきました。

 

◆ディスカッションタイムへ

 講義終了後には、参加者も交え、「近江八幡をどのように次代につないでいくか」というテーマでのディスカッションを実施。

 参加者のみなさんからは、

  • 「まちつむぎ」という言葉の意味を大事に、自分たちができることを考えていきたい
  • まちの「つむぎ手」として、学生の立場からできることをやっていく
  • 最近の観光施策の是非もあるが人を呼ぶのはきっかけとしてやはり大事では
  • 自分が行っている活動の意味づけが改めてできた

など多くの意見が寄せられ、盛会のなか時間となり終了しました。

 


◆次回、第4回のご案内

最後に次回のご案内です。

7/29(土) 開催!第4回まちなかゼミ
「都市景観のイメージ 〜近江八幡のまちのイメージを探る〜」
京都大学 工学研究科 教授 川﨑 雅史 氏

時間は今回と同じで、13:30~15:30 (開場13:00)を予定しています。

詳細は公式フェイスブックページイベントページをご参照ください。